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「ああ〜、ヘルメット、きちんと被っててよかったわぁ〜〜〜」

みるみる迫る地面を見つめながら、そんなことを思う。
地上に叩き付けられそうになった、その刹那、ジキルは猫科の獣のようにくるりと受け身をとった。

「あははっ、ワシ、天才」

そう呟きながら立ち上がろうとした彼の背中に衝撃が走った。

「ぐうっ!」

激痛で、ジキルは体を二つに折った。土の上に膝をつき、跪くような形になる。

「例のもの、ちょうだい。命まで取らないヨ。おとなしくしてネ」

たどたどしい日本語が頭の上から降ってきた。
外国人タレントがテレビで喋るような、いわゆるカタコトというやつだ。
息が詰まるのを堪えながら、ジキルは首を巡らして相手の人数を確認した。
この場には五人。いずれもアジア系からはかけ離れた顔だち。おそらく中近東系。
道路を封鎖して、この場所までジキルを追い込んだ仕掛けからして、少なくとも十人くらいのグループだろう。追っ付け、仲間がやってくるに違いない。

「な…何のことやら、わからんなぁ」

今度は腹を蹴り上げられる。漫画のように宙を舞い、仰向けに倒れ咳き込んだ。

「ひ、人違いや」

腹を押さえながら、よろよろと上体を起こす。
そのこめかみに、慣れ親しんだ鉄の感触がピタリとあてがわれた。

「あれをオマエが持ってることは知ってるヨ。オマエが仕事を頼んだヤツが口を割ったからネ」

どうやらこの男が首領格らしい。他の男たちとは身なりが違う。

「人の商売の上前はねる気かいっ! てめーら、ろくなもんやあらへんなぁ!」
「オマエだって、ドロボウのくせに」

相手の人数が増える前に、何とかこの場から逃げ出さなければならない。ジキルは考えを巡らせた。
ジキルに拳銃を突き付けている男が、浅黒い顔で笑った。

「逃げても無駄ヨ。オマエの家知ってるから。可愛い女のコいるねえ。あのコは高く売れるヨ」
「アリサに指一本触れてみィ! ただじゃ……ぐええっ!」

脇腹を蹴り上げられた。
崩れ落ちそうになるジキルの襟首を掴み上げ、男は猫なで声で続けた。

「だからこうして、こんなところでお話してるのヨ。あんな可愛いコ、巻き込みたくないヨ。ネ。だから、ちょうだい」
「くっ…くそ……」
「言うこと聞かないならしようがないネ。あのコさらって連れてくヨ」

男は手下に顎で合図した。停車していた車にエンジンがかかる。

「ま…待て! わかった。わかったから…」

ジキルはポケットから、男たちの目的の品を取り出し、差し出した。

「始めから出してれば、痛い目にあわなかったのにネ」

男はジキルの手から、エメラルドを奪い取った。
深い緑色に、周囲の男たちは感嘆の声を上げた。
頭目はジキルを突き飛ばし、背を向けた。母国語で手下に指示を下している。
その言葉には聞き覚えがあった。昔、まだ左目が見えていた頃に聞いたことがある言葉だった。

「あー、こんな感じやったなぁ。俺があんなことになった時の……」

突如、ジキルの首に細いロープが巻き付けられた。

「そうそう。あん時もこんな感じやった……って、こらーっ!」

最後の方は、音声になっていなかった。
ジキルは両手でロープを掴み、暴れた。しかし腕を掴まれ、引き剥がされる。

「顔見られてるのに、生かしておくわけないデショ」

にやにやと笑いながら、男はロープを引き絞った。
いつの間にか合流した仲間たちも加わって、絞殺ショーを賑やかす。
海馬の奥底に沈ませた忌わしい記憶が甦る。
あの時も大勢の男たちがジキルを取り囲んで、囃し立てていた。

『キレイナ緑色ノ瞳。自分デ手ニ取ッテ、見テミタイダロ?』

二度と思い出したくない場面が、鮮やかに脳裏に甦った。
目がかすみ、意識が混濁してくる。両の手が空を掻きむしる。涙で夜空が滲んだ。

「あ…あかん、アリサ…」

終わりだと思った瞬間、不意にロープが緩んだ。

「よう、ジェド。もう終わりか?」

目の前に、星空のかわりに店子の姿があった。

「か…神田さ……ゴホッ、ゴホッ」

咳き込みながら、ジキルは自分の首を締めていた男を探す。
槍介の足下に、白目を剥いて悶絶している男が転がっていた。

「た…助かった……」
「お礼は?」
「はあ?」
「お、れ、い」
「お…おーきに。ありがとう」
「ん〜ん。ちょーっと誠意が感じられないなあ…」

槍介は遠い目で星座を眺めた。
ジキルは少し考えて、思いついたようにてのひらをポンと叩いた。

「あー、わかった! 家賃三ヶ月分免除っ!」
「あ、そう」

くるりと背を向ける槍介であった。
その間に、男たちが二人を円陣に囲んだ。
突然現われた大男に、男たちは一時恐慌しかけた。が、戦乱の絶えない国で育った者たちは、立ち直りが早いのだった。

「こんなに強そうな仲間がいたとはネ。まあいい、ご近所に少し迷惑になるけどネ」

首領が左手を上げる。

「念のために、借金して揃えておいてよかったヨ」

十数人の男達は、手に手にピストルを持っていた。
ジキルと槍介は背中を合わせてくっついた。
もっとも、ジキルの背中は槍介の腰の辺りに当たっていたのだが。

「トカレフだぜ」
「わかっとるがな……。絶体絶命や」
「何とかならないこともないぜ」
「ホンマか?」
「だから、おれい」
「あ〜もうっ! 一年分免除でどやっ?」
「ま、いいか。それで手を打ってやる」

槍介は、両手を後ろに回し、大きく息を吸い込んだ。

「エヴリボディ! ナウ、ロッケンロール!」

アメリカ合衆国海兵隊の教練軍曹を思わせる大音声が、全ての者の鼓膜を震わせた。

「な…あれはっ?」

突然、真っ白い光が幾条も頭上から降ってきた。辺りを真昼のように照らす。
ジキルと槍介、そして外国人強盗団は、くっきりと光の中に浮かび上がった。
と、同時に何機ものヘリコプターの爆音とダウンウォッシュが、ジキルたちを襲った。

「うひゃー! な…何やこれぇ〜っ???」

うろたえるジキルの頭を押さえ付け、槍介は伏せた。

「こういう時はまず伏せろって、ジャックに教わったろ!」

バツッバツッ、という命中音と共に、血を迸らせながら数人の男が倒れる。
ジキルは槍介に寄り添い、頭を抱えて身を縮めた。

「抵抗するな。抵抗は死を意味する。銃を捨てろ」

だいたいそういう意味であろう強盗団の母国語が、頭上から拡声器で流れる。
直後、シュルシュルという音が響いた。
ロープを伝って高所から兵員が降りてくるファストロープ降下の音だった。
ヘリコプターから降りてくるのは、おそらく黒一色の装束なのだろう、容易に視認できない。
が、相当数……三十人以上が降下していると、ジキルは判断した。

サーチライトの外で、鋭い語気の英語が飛び交っていた。
やがて、抵抗を諦めた強盗団の男たちが拘束されていく。

「嘘だ……! こんな場所でこんなことがあるわけがない。これはまるで……」

浅黒い顔を真っ青にして首領が叫んだ。後ろから黒覆面の男が羽交い締めにする。

「アメリカ軍の襲撃作戦だろ」

槍介が言葉を継いだ。

「オマエ、まさか、こいつは…」

頭目が、きょとんとしているジキルを指差す。
その手にはジキルが差し出したエメラルドのチョーカーがぶら下がっていた。
ジキルはそれを神速のスリ業師よろしくかすめ取り、自分のポケットに戻した。

「お前ら、こいつが何者かも知らずに襲ったのか? 命知らずというか何というか」
「こ…こいつは一体……」
「忘れろ。忘れれば命だけは保証されるぜ。ただし、しばらくはカリブの別荘で暮らすことになるだろうが」

槍介がカリブの別荘と呼んだのは、キューバの南東部、グアンタナモベイにある米軍基地のことである。
2000年9月11日のアメリカ同時多発テロ以来、テロリスト容疑者の収容所となっている。
今日の事件はテロとして処理されるのだろう。ジキルは頭をポリポリと掻きながらそう思った。

「クソッ!」

聞くに耐えない罵詈雑言をまき散らしながら、男は連行されていった。

「もう少し早く合図をくだされば…」

黒覆面のリーダーらしき男が槍介に話しかけた。
槍介は口元を釣り上げて笑った。そして顎でジキルを示しながら、

「こいつには少し、懲りてもらわないといけないんでね」

と、言った。
そしてジキルに向かって手を伸ばした。てのひらが上を向いている。

「よこせ」
「な…何のことやら」
「お前もカリブの別荘に行くか?」

そう言われて、ジキルは渋々、エメラルドをポケットから出した。
槍介はジキルの手からそれを取り上げた。

「それは?」

黒覆面のリーダーが、槍介に問いかける。
槍介は溜め息混じりに語った。

「今回の騒動の元凶さ。このろくでなしが、事もあろうに友達からくすねたんだ」
「くすねたんと違うわ! 人聞き悪いこと言うなや」
「日向夏樹のところには、イミテーションを置いてきてるんだろ。だったら、そこにあるのは盗んできたってことじゃねえか、このバカ」
「べ…別のと交換しただけやんけ……」

ジキルはしょんぼりと肩を落とし、土の上に正座した。
そして恨めしそうに槍介を見上げると、不意に思い出したように、

「そ…そや! なんであんた、俺の後つけてきたんや? おかげで助かったけど」

と、尋ねた。

「お前、マンションから出てきた時、なんて言ったか覚えてるか?」
「へ? ワシ、なんて言うたっけ?」
「仕事がうまくいった。そう言ったんだぜ。服を作る作業はまだ途中のはずだろ」
「あ…」
「結局、お前のメインの仕事っていうのはそっちの方だったってことさ。エメラルドをイミテーションとすり替えて、全てうまくいくと思ったんだろうが」
「イミテーションイミテーション言うなっ! あれかて本物のエメラルドや! 幾らした思うてんねん!」
「あーそうだ。本物のエメラルドを使った、気合いの入ったイミテーションだっ!」
「これの価値に比べたら、本物のエメラルドかて、くすんでまうわ!」
「開き直るな、このクズ!」

槍介は、ジキルの脇腹を軽く蹴った。
彼にとっては軽くだったが、ごついブーツの先にはスチールが入っている。

「痛ててててっ」

さっき強盗団に蹴られた箇所である。ジキルは脇腹を押さえてうずくまった。

「あ…あんちゃ……」

黒覆面のリーダーが手を差し伸べようとして、慌てて引っ込めた。そして、

「それでは、ボクはこれで」

と、敬礼した。そしてジキルに向き直り、抑揚のない口調で言う。

「あ、そうそう、ミスター・ジキル、忘れてください。今日のことはなかった」
「はあ。いつもご苦労さんです。そーゆーことで」

いつの間にかサーチライトは消え、ヘリコプターの爆音も消えていた。
黒覆面の男たちと強盗団は、どこかに飛び去っていった。

「何者なんやろなあ、あの人ら……」
「お前って奴は、どこまでボケてるんだ」
「はぁ〜?」
「まあいい。さ、戻るぞ」
「どこへ?」
「日向夏樹のマンションに決まってるだろうっ! 一から事情を全部話して土下座するんだっ!」

耳元でがなりたてる槍介の声に、すっかりジキルは畏縮した。
立ち上がり、迷彩パンツをパンパンと叩いて土を落とす。

「はあああっ、ええ儲け話やったのに……」
「何か言ったか?」
「い、いやあ、別に何でも」
「早く来い! 首切ってクソ流し込むぞ!」

槍介はジキルの耳たぶを摘んで引っ張った。

「あたたたたた。こーいう時はあの人ら、来てくれへんのやろか〜!」

そのままジキルは槍介に連行された。
 
 

エメラルドの秘密-04へ続く