跳べ! 真里!!(12)

「……もう、いいんじゃないかしら」
先程から部屋の隅に立ち、話を聞いていた副社長の飯田が口を開いた。
「姉さんまで……」
田島は大きな溜め息をつき、ソファに身を沈めた。
「プロデューサーからも連絡があってね。ジキルくんが衣装関係のスタッフから外れるんなら、ちょっと、へそ曲げるって。次の曲に関しては白紙になるかもって」
「卑怯だな……姉さんの方に電話するなんて……」
「夏樹くんがへそ曲げたら、もっと大きな損害になるわね」
「……う…ん……」
「もう、今となっては怒ってるの……竜ちゃんだけなのよね」
「ああもう、わかったよ! お咎めなしってことにしたらいいんだろっ!」
田島はテーブルを軽く叩いて、立ち上がった。
「やったぁ!」
四人の小学生アイドルたちは、手を叩いて喜びを分かち合った。
「ありがとうございますっ!」
ジキルは起立して、頭を下げた。
田島は何も答えず、黙って部屋を出て行った。
廊下で何度も溜め息をつき、うなだれる。
「はあ……まいったな、まったく……」
頭を掻きむしりながら、廊下を進む。すると、不意にその行く手を遮る人影があった。
「ん……?」
黒い服に身を包んだ少女が、一人で廊下に立っていた。
「アリサちゃん」
「あのね、あのね、ごめんなさい。ぜんぶ、アリサが悪いの。おうちに帰ってから、ジキルにも、いっぱい叱られたの」
フッと笑って、田島は腰を屈めた。アリサと視線を合わせながら、軽く頭を撫でる。
アリサは不安そうな顔をして、矢継ぎ早に質問した。
「ねえ、じきるはクビになるの? もう、げいのうじんのお洋服作れなくなるの? アリサ、メルティピンクとお友達でいるの、ダメになっちゃったの?」
田島はしばらく黙っていたが、やがて静かに言った。
「……アリサちゃん。おじさんと取引しようか」
「とりひき?」
「うん。アリサちゃんがおじさんの言うこと聞いてくれたら、ジキルくんのことは許してあげる。どう?」
アリサは満面に笑みを浮かべた。
「アリサ、とりひきする! どうすればいいの?」
「じゃあ……」
田島はアリサの青い瞳をじっと見つめ、言葉を続けた。
「アリサちゃんは、おじさんが頼んだ時に、テレビに出て歌ったり踊ったりしてほしいんだ。今すぐじゃなくていい。ジキルくんと相談して、学校の勉強に差し支えない時に、メルティピンクみたいに、芸能活動してほしいんだよ」
「うん、わかった!」
「約束だよ。専属契約だ」
「せんぞくけいやく!」
アリサは飛び上がって喜び、ジキルたちのところへ走って行った。
田島は立ち上がり、アリサに手を振りながら軽く微笑んだ。将来有望な子役タレントがまた一人、プロダクションに所属したというわけである。
収支決算をすれば、こちらの方がずっと得だと田島は思った。
「なかなかやり手だな」
廊下で壁にもたれていた槍介が感想を述べる。
田島はクスッと自嘲気味に笑いつつ、肩をすくめた。
「まるで俺が悪者みたい」
「立場上、ああ言うしかないだろう。あんたの方が正しいよ」
「ありがとう。わかってくれて」
「ここの社長は真面目過ぎて不器用だと、[イーハトーボ]のマスターに聞いてるんでね」
「ああ、そうだよ。もう何十年も……そのせいで彼には迷惑かけてるよ」
「親友なんて、そんなもんじゃねえのか」
「そうなのかな」
田島は曖昧に笑い、槍介の前を通り過ぎて行った。
槍介は煙草を一本口にくわえ、一服すると大きく煙を吐いた。

     *

週末。
写真週刊誌に、みそのと真里の写真が掲載された。
お忍びでショッピング中、デパート火災に巻き込まれたという記事だった。避難した客に紛れてデパートを見上げるみそのと、買い物の最中の二人が激写されている。
そこには、逃げ遅れた買い物客の救出に尽力したため、真里は両足を怪我したのだということまで書かれていた。
このことはワイドショーでも騒がれ、『真里ちゃんお手柄!』と見出しがついたスポーツ新聞も世間に出回った。
田島と飯田の指示通り、事務所が取材に対応した結果だった。
ジキルとアリサのことは伏せられたまま、真里の武勇伝だけが有名になったというわけである。
もっとも、隣のビルから飛び移った……なんてことは、当然シークレットなのであった。
真里のもとには取材が殺到し、彼女は一躍、時の人となった。
この事件以降、真里にはその類い稀な運動神経を生かした仕事が舞い込むようになった。
少女の個性は花開き、輝き始めたのである。
そして一ヶ月後――。
「来る前に連絡くれたらよかったのに。アリサは今日、ブティックの方に行ってんねん」
[じきる堂]を訪問した真里は、店長の言葉を聞き、首を横に振った。
「いいの。今日は、店長に会いに来たんだもん」
「ホンマか〜。嬉しいこと言うてくれるなぁ。お前、もう足はええのか?」
「もう治ったよ。バリバリ、ダンスしてるよ! 今日もこれからピンの仕事なの」
「捻挫は癖なるから、気ィつけてな」
「うん。……ありがとね、店長。いろいろ」
真里はジキルの顔を見ると、にっこりと微笑んだ。そして、
「今度、消防レスキューに一日体験入隊するんだ。小学生の防災意識を高めるためのキャンペーンなんだよ」
と、胸を張る。
「ほう。それは凄いなぁ」
「やっぱり、大切な人のこと、守りたいもんね! 自分の手で!」
目をきらきらと輝かせながら、真里は語った。
ジキルは、店の入り口で待つ槍介に目配せしつつ、じっと真里の話に耳を傾けた。

(了)
 

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