跳べ! 真里!!(8)

「店長……あたし、やってみる」
真里は決意に満ちた顔を上げた。
「おおきに」
ジキルは真里の頭に、ポンとてのひらを乗せた。
そしてポケットから何やら取り出す。緑色の紐が鎖状に編んである。
「パラシュートコードや。これなら絶対切れん」
言いながら、紐の片端を引っ張った。一瞬で、編んであったものが一本の紐に戻る。
ジキルはその細いコードを、真里の体に巻き付けた。ウエストだけでなく、股間にVの字に通し、何重にも重ねる。ハーネスの代わりというところだろう。
そしてもう片方の端に、太いザイルを括りつける。折り畳んだザイルに細いコードをぐるぐると巻き付けて捻ったような結び方をしてある。
真里は両腕を上げて、上半身を軽く捻った。パラシュートコードはとても細く、軽いので、跳ぶ邪魔にはならなそうだった。これがザイルだったら、重過ぎてとても跳べない。
「真里。向こうに着いたら、フェンスの支柱にこのザイルを結びつけてんか。結び方、今から教える」
ジキルはザイルを手に、貯水槽の梯子のところで見本を示し始めた。
「ここをぐるっと回して、端んところを……こない感じでジグザグに……」
「真里、それ知ってる。『ねじ結び』でしょ?」
「は、はぁ?」
ジキルは驚いて真里の顔を見た。小学四年生の女児の口から出るような言葉ではない。
真里は得意そうに胸を張った。
「そういうの、小ちゃい時に教わって知ってるの。こっちの紐とそのロープを結んでるの、『二重テグス結び』っていうんでしょ?」
「真里、お前……」
「だって、うちのパパ……、レンジャーだもん!」
「あ……」
呆気に取られたジキルは、5秒ほどポカンと真里の顔を見つめた。
「真里にまかせて!」
「自衛官の娘とはな……。勝ち気なわけや」
ジキルはニヤリと笑い、屈んで真里の太腿を軽く叩いた。
口では頼もしいことを言っているが、膝がガクガクと震えている。その顔も、泣き出しそうになるのを必死に堪えているのが見て取れる。自らの恐怖心と戦っているのだ。
真里は何度も深呼吸を繰り返し、ビルの屋上でウォーミングアップをした。膝を屈伸したり、アキレス腱を伸ばしたりしている。
そして覚悟を決めた少女は、ビルの反対側へと歩いて行った。デパートからは、最も離れた位置だ。塀から7メートルほど距離がある。
ここから助走をつけなければ、長距離は跳べない。しかも助走の後、塀を乗り越えて跳ばなければならない。真里にとって、困難な条件が揃いまくっていた。
(でも、やらなくちゃ。あたしは、あたしにできることをやるんだ!)
運良く向こうに着地できたとしても、両足に怪我をするかもしれなかった。しかし、真里はザイルをフェンスに結びつけるまでは、どんなに痛くても泣かないと決めた。
(アリサ、待っててね。絶対に成功するから! あたし、走り幅跳びでは、アリサのお手本なんだからっ!)
大きく息を吸い込み、吐く。その場で走るように足踏みをして、全身の力を抜く。
(演技はみそのちゃんに勝てない。歌は紗菜ちゃんに勝てない。存在感は雅香ちゃんに勝てない。でも、こういうことなら……誰にも負けない!)
真里の瞳が獣のように光った。
次の瞬間、真里は走り出した。同時に背中の方から、追い風が吹き始めた。
その風と一つになったかのように真里は疾走し、そして……!
「はっ!!」
空を跳んだ。
「真里ちゃん……!」
アリサが目を大きく見開いて、その姿を追った。
ジキルはザイルをしっかりと握り締め、向こう側へと姿を消して行く真里を見守った。
ビルとビルの谷間を、少女が舞った。
真里は、頭の中が真っ白だった。何も考えられなかった。
凄まじい衝撃が両足首を襲い、ドタッとコンクリートに倒れ込んで、初めて真里は我に返った。
「真里ーっ!」
「真里ちゃぁんっ!」
「……ったたたた……」
ジンジンと足が痛む。膝から下が、粉々に砕けてしまったかと思った。
しかし真里は黙って立ち上がり、アリサの顔を見つけて、白い歯を見せた。
「真里ちゃん!」
アリサの顔が、ぱぁっと明るくなった。
「アリサ!」
二人は強く抱き合った。アリサは目を真っ赤に泣き腫らしている。独りぼっちで置き去りにされて、どれほど心細かったことだろう。
「うわああああああ〜〜〜んっ、真里ちゃぁん!」
「アリサ、あたしね、もう一つ、任務があるの。ちょっとだけ待って……」
真里に飛びついて離れないアリサを説得して引き離し、真里はザイルを引っ張った。
たった今までいたビルで、ジキルが親指を立ててこっちを見下ろしていた。その顔がとても遠くに見える。あそこから跳んだのだと思うと、腰が抜けそうになる。
真里は黙々とザイルをフェンスの支柱に結びつけた。幼稚園の時、家族で出掛けたキャンプで、父が繰り返し教えてくれたものだ。
『いいか真里。こういうことは覚えておいて損はない。誰かを助けるために、必ず役に立つ時が来る』
正に、今がその時だったのだ。涙で目がかすみ、ザイルがぼやけた。
 

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